まちづくりの隙間から NOTE代表の徒然ノート
こんにちは。NOTE代表の藤原です。
今回は、今年の5月で創立10周年を迎えたNOTEの未来の話をしたいと思います。
丹波篠山の城下町を歩いていると、ふと足が止まる瞬間があります。
涼しげに揺れる風鈴の音色、古い瓦屋根の重なり、そして道ゆくおばあちゃんとの何気ない挨拶。そこにあるのは、僕が17年前にこの場所で活動を始めた時と変わらない「日本の暮らし」の断片です。
しかし、その風景を守り、次世代に手渡すための「仕組み」は、今、大きな変革の時を迎えています。
株式会社NOTEは今、グループの再編という、創業以来最大とも言える舵を切ろうとしています。なぜ、今この決断が必要なのか。それを語るには、NIPPONIAというDNAがどこで生まれ、どのような「葛藤」を経てここまで来たのか、少し時計の針を戻して整理する必要があります。
絶望の中から生まれた「元気玉」の理論
僕のまちづくりの原点は、実は「しがないエンジニア」だった時代にあります。
2000年頃のことです。地元・丹波篠山の老舗和菓子屋のE社長から、ある相談を受けました。
「新しくできる市民センターの施設予約システムを作らなあかんのやけど、予算がまったくないんや。藤原くん、なんとかしてくれへんか」
見せられた見積もりは、大手のITベンダーが提示した数千万円という金額。地方の小さなまちづくり会社に、そんな金があるはずもありません。
僕は当時、若手のエンジニアでしたが、故郷の重鎮たちから頭を下げられ断るわけにもいかず、結局引き受けることにしました。使ったのは、当時でも「絶滅寸前」と言われていたMicrosoft AccessというソフトでVBAを駆使して開発しました。数千万円のシステムを、1/100以下の予算で、文字通り寝る間も惜しんで組み上げました。
この時、気づいたんです。
「地方には資源も金もない。でも、バラバラに存在する小さな『想い』や『技術』を一つに融合させれば、巨大なシステムにも立ち向かえるんじゃないか」
これが、2008年に僕が独立した際に掲げた「イノベーション・アンツ(イノベーションする蟻)」であり、「分散と融合」という僕の哲学の萌芽でした(この哲学は当時立ち上げた会社名「アイ・アンツ」の名前の由来にもなりました)。
それはまるで、アニメの『ドラゴンボール』に出てくる「元気玉」のようなものです。一人ひとりの力は小さくても、みんなが少しずつ元気を分け合えば、とてつもなく大きな課題を解決できる。縮小していく地方でイノベーションを起こすには、これしかないと確信していました。
Q.現在、アイ・アンツという会社はどうしているのですか?
A.株式会社NOTEの設立時に理念のみを統合し、NOTEの中に息づいています。
NIPPONIAのビジョンが生まれたあの夜の議論
2009年に一般社団法人ノオトが設立された当初、実は「NIPPONIA」という名前も、明確なビジョンもありませんでした。周囲に「ノオトは何する会社なの?」と聞かれても、「うーん、いろいろ」と代表が答えてしまうような、そんな手探りの状態でした。
転換点は2011年。創造都市ネットワークの取り組みに参画し、佐々木雅幸先生(大阪市立大学名誉教授)が提唱する「創造都市論」や「創造農村」という概念に出会ったことでした。
ある夜、篠山の居酒屋「大手新丁」で、僕たちはブランドのタグラインについて激論を交わしていました。当時の代表が自信満々に出してきた案は、『いのりのかたち。』という、なんとも高尚でレリジャスな言葉でした。それに対してメンバーから、「イメージはわかるけど、どんなカタチかわかりづらい」「何かの宗教と思われる」「共感ではなく入信?」と反対意見。
結局、夜通しの議論の末に決まったのが、あの言葉でした。
『懐かしくて新しい日本の暮らしを提案します』
これが、今の「なつかしくて、あたらしい、日本の暮らしをつくる」というNIPPONIAのタグラインの原典です。
かっこいい言葉を並べるのではなく、おばあちゃんが縁側で茶を飲んでいるような「懐かしさ」と、それを今の時代の価値として捉え直す「新しさ」。この両輪が必要なんだと、あの夜、僕たちは確信したのです。

日本という「農村社会OS」を実装する
ここで少し、私が大切にしている「思想」の話をさせてください。
創造都市論は、主に都市の多様性やクリエイティブ・クラスの集積を成長のエンジンにします。対して「創造農村」は、歴史や文化、暮らしそのものを価値の源泉にします。
NIPPONIAは、この「創造農村」の思想を、ビジネスという言語に「翻訳」して社会に実装する装置です。
よく「古民家再生ですね」と言われますが、それは表面的な話にすぎません。僕たちがやっているのは、歴史的建築物を核にして、地域経済の「バリューチェーン」を再設計することなんです。
日本は、一見すると近代的な法治国家ですが、地方における、その深層にあるOS(オペレーティング・システム)は今もなお「農村社会」です。
理屈や効率だけで動かそうとすると、必ず地域の摩擦という「バグ」が発生します。行政の担当者が「前例がありません」と渋るのも、地域の長老が「よそ者に何がわかる」と背を向けるのも、彼らがその土地のOSを守ろうとしているからです。
僕は現場でトラブルが起きるたび、「いや〜、難しいですよね、わかります」と、まずは相手のOSにログインを試みることから始めます。効率を求める「都市の論理」をそのまま持ち込むのではなく、農村の文脈を読み解き、そこに「分散型ホテル」という新しいプラグインを差し込んでいく。
この「翻訳」のプロセスこそが、NIPPONIAの付加価値そのものだと言えます。
成長のジレンマ -なぜ「まちづくりバリューチェーン」なのか-
おかげさまで、NIPPONIAモデルは全国30以上の地域に広がりました。しかし、規模が大きくなるにつれて、新たな課題が浮き彫りになってきました。
これまでは、地域の運営パートナーと手を組み、彼らの自主性を尊重することで展開してきました。しかし、地域ごとに運営主体が異なると、どうしても「NIPPONIAとしての品質」や「理念の浸透」にバラつきが出てしまいます。せっかく訪れてくれたお客様が、ある地域では感動し、別の地域では「期待と違った」と肩を落とす。これは、ブランドにとって致命的なリスクです。
また、古民家再生には多額の資金が必要ですが、歴史的建築物は銀行の評価が低く、担保になりにくい。これまでは僕が一人で走り回り、属人的な力でなんとかファイナンスを組み上げてきましたが、これでは持続可能性がありません。
「開発(NOTE)」が地域を掘り起こしても、「運営」の質が伴わなければ地域は再生しない。そして、その両方を支える「金融」の仕組みがなければ、活動は一過性のブームで終わってしまう。
この「構造的な壁」を突破するために決断しました。
自分たちで高い運営基準を担保するための「NOP(NIPPONIAオペレーションズ)」の設立。そして、古民家という特殊な資産に特化したプロフェッショナルな資金調達を担う「NCP(NIPPONIAコモンズパートナーズ)」の設立です。
これが、僕の掲げる「まちづくりバリューチェーン(VC)」です。
NOTEが地域を編集し、NOPが暮らしを守り、NCPが未来への投資を呼び込む。この三位一体の体制こそが、NIPPONIAを単なる「古民家ホテル」から、地域経済を循環させる「産業」へと昇華させるための唯一の道だと確信しています。
100年後の子供たちへ手渡すバトン
「なぜ、そんなに仕組み化にこだわるんですか?」と聞かれることがあります。
利益を最大化するだけなら、もっと効率の良いやり方はいくらでもあるでしょう。
でも、私の視界にあるのは、今期の決算書ではなく、100年後の日本の風景です。

今のままでは、日本の地方から「暮らしの匂い」が消えてしまいます。均一化されたコンビニと、一世代で使い切りの家ばかりが並ぶ町を、僕たちは子供たちに残したいのでしょうか。
僕たちが「JV(ジョイント・ベンチャー)方式」という、手間のかかるやり方にこだわるのもそのためです。その土地の主体性と、僕たちの標準化されたノウハウを融合させる。それこそが、創業時から変わらない「分散と融合」の精神です。
今回のグループ再編は、単なる組織図の書き換えではありません。NIPPONIAという「元気玉」をより大きく、より確実なものにするための、攻めの布石です。
不確実な未来に立ち向かうのは、正直怖いです。失敗して恥をかくこともあるでしょう。でも、あの暗い市役所の奥の仮設事務所で、AccessのVBAコードを叩きながら夢見た「誰もが誇りを持って暮らせる日本」を創るために、僕はこれからも泥臭く、現場で悩み続けたいと思います。
皆さんの住む町には、100年後、どんな風景が残っていますか?
その風景の中に、NIPPONIAの灯りが一つでも多く灯っていることを願って、今日もまた、新しい一歩を踏み出します。