まちづくりの隙間から NOTE代表の徒然ノート
こんにちは。NOTE代表の藤原です。
NOTEのオフィスがある兵庫県丹波篠山では、数日前から田んぼでカエルが鳴き、桜がほころび、どんどんと世界が春へと移っていくのを感じます。
篠山は自然が豊かなので、毎年季節が巡っていくのが楽しみになります。
さて今回は、これまで多くの地域を訪れてきた中で僕が得た“発見”をお伝えしたいと思います。
「一日」という24時間を過ごして初めて見えるもの
「地方創生」や「古民家再生」という言葉を聞くと、どこか新しくてキラキラしたものを想像するかもしれません。
けれど、僕が新しいプロジェクトを始める前に一番大切にしているのは、その町がまだ「何者でもない」時間。つまり、朝の光景を歩くこと。
仕事柄、僕は訪れた先の町に泊まることが多いです。
朝を迎えるということは、その地域の「昼」と「夜」、そしてその先にある「朝」をすべて経験することになります。
僕が新しいプロジェクトのためにある町を訪れるとき、その町に泊まり、朝・昼・夜という「三つの顔」をすべて見ることを大切にしています。
なので、まだ泊まったことのない地域に訪れる予定が入った際に、スケジュールの都合でどうしても日帰りとなった場合はテンションが低くなってしまう…。そればかりか、地域の方と向き合って話をする時に、この町のことを何も知らない自分に後ろめたさを感じてしまうからです。
多くの観光客が目にするのは、賑やかな「昼の顔」でしょう。あるいは、情緒ある「夜の顔」かもしれない。
しかし、その町の本当のポテンシャル、つまり「未来」が隠されているのは、実は夜明け前の、誰も見ていないような「朝の顔」です。

朝を迎えるということは、その地域の時間のサイクルを一周体験するということです。それは、まるで一冊の本を最初から最後まで読み通すようなもの。途中の章だけを読んでも、物語の本質は掴めません。
24時間をその土地の空気の中で過ごして初めて、その町が刻んできたリズムが自分の身体に馴染んでくるのです。
新聞配達少年が見ていた「町の素顔」
なぜこれほどまでに「朝」にこだわるのか。それは、子供のころの原体験にあります。
かつて僕は、新聞配達少年として毎朝、町を駆け抜けていました。
午前4時。まだ世界が眠っている時間、新聞のインクの匂いとともに自転車を漕ぎ出す。そこにあったのは、観光ガイドには絶対に載らない、飾らない町の素顔。
実は、当時のことで今も忘れられないエピソードがあります。
毎朝、販売所で新聞を積み込み、考案した最短ルートを必死に回る日々。その中に一軒、どうしても憂鬱な配達先がありました。予定の時間を少しでも過ぎると、必ず門の前で腕組みをして待ち構えているお爺さんの家です。挨拶をしても、手渡した新聞を無言で、しかも怖い顔で受け取る。
子供だった僕は、ただただ恐怖を感じ、「少し遅れたくらいで……」と心中で毒づくこともありました。
そんなある冬の日、大雪に見舞われた。焦るあまり雪の轍(わだち)にハンドルを取られ、派手に転倒してしまいました。新聞は散乱し、雪で濡れてボロボロ。半泣きで拾い集め、大幅に遅れてあの家に向かいました。
門の前には、案の定、いつも以上に険しい顔をしたお爺さんが立っています。差した傘に積もった雪の厚みの分だけ感情の大きさを感じる。
叱責を覚悟して震える手で新聞を差し出すと、返ってきたのは意外な言葉でした。
「事故でもあったんじゃないかと心配したわ。慌てなくていい、気をつけて配ってくれればそれでいいんや」
お爺さんはそう言うと、温かいホッカイロを僕の手に握らせ、家の中へ戻っていきました。
その時、初めて気づいたのです。
彼が毎朝門に立っていたのは、遅れに腹を立てていたからではない。一日の始まりを告げる少年の無事を、彼なりに見守ってくれていたことを……。
朝の光景には、こうした目には見えない地域の「体温」が凝縮されている。
挨拶の響きに、町の未来を占う
再生前の町を歩いていると、いろいろな出会いがあります。
同じように朝の空気を動かしている新聞配達や牛乳配達の人、足早に駅へ向かう通勤・通学の人、そして決まったコースをゆっくり歩く老人たち。
「おはようございます」
こちらから声をかけたとき、返ってくる返事のトーン。そこに、その町の未来が透けて見える。
優しく、自然に響く挨拶が交わされる町には、まだ見ぬ「豊かさ」の種が必ず埋まっています。
人と人が互いの存在を認め合っている証拠だからです。
僕たちが古民家を再生し、宿を作るのは、単に宿泊場所を提供したいからではありません。
その町が大切にしてきた「一日の始まり」を、訪れる人にもお裾分けしたいと考えているからです。
「何もない」の中に、すべてがある
地方創生という言葉を聞くと、何か新しい解決策を外から持ってくることだと思われがちです。
しかし、僕が朝の散歩で見つけるのは、むしろ「ずっとそこにあったもの」の価値です。
道端の地蔵に供えられた新鮮な花、路地裏から漂う出汁の香り、規則正しく掃き清められた玄関先。
これらは一見、何気ない日常です。しかし、この丁寧な日常の積み重ねこそが、その町の文化的な体力であり、再生への一番の原動力になります。
朝の静寂の中で、僕はいつも確信します。「この町には、これだけの愛着が残っている。なら、大丈夫だ」と。
一日からの村人とその未来
町の未来は、未来にあるのではない。
今日という一日を丁寧に始めようとする、人々の「朝の営み」の中に、すでに存在しています。
年に一回のイベントや新しい施設、非日常を味わえるリゾートを楽しむのもいいでしょう。
でも、もし許されるなら、暮らすように泊まれる場所に身を置いて、その町の朝を歩いてみてほしい。
そこには、その土地が何百年もかけて守り抜いてきた「本当の豊かさ」が、朝露のようにキラリと光っているはずです。
一日からの村人の第一歩をはじめたい方は是非、メンバーシップにご登録ください。
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