篠山暮らし案内
古民家を活用したフレンチレストラン|ひわの蔵

篠山の第一印象を教えてください。

知人に「おもしろいところがあるよ。」と言われ案内されたのが篠山でした。町おこし事業をしている篠山の人と出会いました。そのとき既に、ここ集落丸山で3棟の空家を古民家の宿にするプロジェクトも始まっていて、関係者に会ったときに「ああ、役者が揃っているな、元気のできることをやっていらっしゃるな」と感じました。篠山の魅力は農産物。素材としておいしいものが採れること。料理の仕事でそれを使ったら楽しいだろうな、と思いました。野菜の鮮度を大切にするのがフランス料理。きゅうり一本、畑から摂ってきたばかりのものは違います。美味しい。お客様もここまで来る途中、田舎の景色を見て、採れたて野菜を食べるぞ!と、もうスイッチが入っている。篠山マジック、丸山マジックってあります。ここで地方発信のフレンチをしていきたいと構想しました。でも実は始めは篠山でお店をするつもりはなかったんです。個人的に畑をしながら何かできたら、ぐらいに思っていました。ここに来たのは「ひと」の縁。人とのつながりがなかったら、ここに来てないかも知れません。
レストランになっている建物はむかし蔵だった建物ですね。古民家を活用してお店にするときに大切にしたこと、ご苦労されたこと、エピソードを教えてください。
この蔵は当時、駐車場になる予定で、傾いていて床も抜け落ち、壁もボロボロ...正直、「この蔵でレストランには無理!」そう思いましたが、篠山の環境、自然をみながら「ここで何かできるかも」と思いました。壊れかけた小屋がこんな風に生まれ変わるとは思ってもいませんでした。この改修を担当された建築家が「足さず、の人」。建物を昔の姿に戻すスタイルの方でした。この蔵も余計なものをほとんど作らず、新しく作ってもらったのが窓とカウンターぐらいです。蔵で中が暗かったので、光が入るようにしてもらいました。歴史のある古い建物で、フレンチレストランということもあって西洋の古いものをたくさん取り入れました。外国製のテーブル、棚、ランプ、グラスなどたくさん置いていますが、違和感なく溶け込んでいると思います。他に古民家ならではのエピソードと言えば、「生き物」のことですかね。もともと蔵だった建物だから、すきま風が吹く、天井からススが落ちてきます。でもお客様もこの自然環境だから「こういうものだ」と受け入れてくださっています。もし店の中に虫が入ってきても「そういうもの」と。これが神戸ならクレームになる。取り除いてほしい、席を替えてほしい、と言われるでしょう。でもここでは言われたことがありません。逆に「これが自然なんだ」と受け入れてくださっています。例えば、カエルが苦手なお客様の話。「カエル」という言葉を聞くだけでも嫌がる方なのですが、ご来店の前に必ず「カエル、出てますか?」とお電話が入ります。春から夏にかけては、ここ辺り、田んぼの周りにはカエルがいっぱい。ですから、そのお客様はカエルがいなくなる秋と冬だけいらっしゃる。でも年に数回来てくださいます。
高柳さんはもともと神戸でフレンチレストランをしていらっしゃったと伺いました。。篠山と神戸で違うことは何ですか?
僕は神戸で「ジャン・ムーラン」というフランス料理店で修業をしました。そして「ジャンティ・オジェ」という店で独立、約20年間、神戸にいました。瀬戸内海の魚を中心に神戸らしいフレンチを作っていました。明石の海の幸を使うフレンチ料理です。でも地産地消のレストランではなかった。何をどこで仕入れてどう料理するか、を考えていました。言ってみれば、東京でも神戸でも並べられる食材でした。僕はずっと神戸で「このままでよいのかな」と考えていました。景色の見えない建物の中で、四季の移り変りは市場の野菜から感じるくらい。「ああ、六甲山が色づいてきたね」、その程度でした。いま篠山でやっていることは神戸とはまるで違う仕事です。篠山みたいに四季を肌で感じて仕事をしている料理人は少ないと思います。街中で生活している料理人はみんな「うらやましい」と言います。素材ありきのフレンチの世界。とってきた素材をシンプルな料理で、歯ごたえ・香を残しながら提供できる、しかも短い距離でできるところが篠山の魅力です。畑で取ってそのまますぐに調理できる。全然味が違いますよ。ここ丸山に来て一年ちょっと。新しい動きを模索しながら、ある意味なんでもできそうだ、やってみたいと思います。例えば、篠山でイノシシが捕れるのは予想していましたが、鹿がこんなに多いとは思っていませんでした。意外だったのは川魚が少ないこと。鮎なんかが出てくるとおもしろい。川で飼育できないかな?成功できるか分からないけど、そんな楽しいことばかり考えています。
集落の魅力について教えてください。
僕の夢はその土地の魅力を生かしながら集落丸山と一緒に発展していくことです。都会では隣の人が何をやっていても気にならない、困らない。でも集落は違います。みんなで助け合っていく。例えば雪かきひとつそうです。ある程度積もったら雪かきが必要で、人が通るぐらいはしなきゃいけない。僕が忙しいときは、集落の誰かがやってくださっています。野菜もそう。いつ植えると良いのか、周りの人が教えて下さる。本に書いてある通りにすればよいのではなくて、その土地の気候・天気やいろいろな状態をみて、みんなが気にかけて教え合う。僕にはまだ集落のみなさんのような経験はありませんが、ちょっとだけみなさんより若いから自分なりにできることを担当したいと思います。何でもみんなで共有しておきたいと思います。自分1人ではできない難しいことも生活共同体として、それぞれ仕事は違ってもみんなで田畑を守っている。それが神戸とは違う、集落の暮らしであり、良さだと思います。
高柳さんご自身も畑を耕しておられるのですか!?
はい!去年はいろいろ植えましたよ。トマト、きゅうり、なす、かぶら、白菜、キンカン...色々な樹も植えました。いまは地産地消のフレンチ調理店という特徴が出てきたと思います。形にとらわれないで、畑で今日とれた新鮮な野菜を目の前にして料理を考えています。この店を作るときに、唯一こだわったことがあります。それはカウンター席です。はじめの計画では、店内はすべてテーブル席でした。それをカウンター席に変更してもらいました。とってきた新鮮な野菜を目の前で調理する、プロセスも全部見てもらいながら、お客様に召し上がっていただく。そこにはこだわりたかったです。
お店の名前「ひわの蔵」はどんな由来があるのですか?
フレンチ料理なのでフランス語にしようと思っていましたが、篠山に来れば来るほどこの景色に合う名前、日本名がいいなと思いました。せっかく蔵を使ったから「蔵」にしようと、インターネットで確認してみたら同じ名前の酒造蔵がいっぱい出てきました。これはいかん、そこで色の名前をつけたらどうかとひらめきました。初めてこの蔵に来たのが田植えのころで、集落に広がる田んぼからみどり色のイメージがありました。ひわ色です。薄みどりのきれいな色。「ひわ色の中の蔵」、それを縮めて「ひわの蔵」と名付けました。
最後にこれから「篠山暮らし」を始める人にメッセージをお願いします。
多少は「郷に入っては郷に従え」。真剣にしていると、みんな形は違えど協力してくれます。全てのものに真正面から取り組むこと。仕事をリタイアして篠山に来る人は別として、ここで仕事をしながら生活していくのであれば、色々なことを正面切ってやっていかなければいけない。「何かあったら神戸に帰ったらいいかな」と思ってしまうから、僕は神戸の家を引き払いました。これが自分のポジションかな?楽しみ・やり甲斐はたくさんあります。僕なりにもがいていることも。正面に向かい「腰を据えて」、というのが必要でした。地元のネットワークに自分から溶け込むこと。こっちが挨拶すれば必ず返して下さる。こっちから近づいていくことです。勢いだけではここで仕事も生活もできない。篠山に来たのは、色々なものに乗っかり勢いだけだったかもしれないですが、こちらに来たら不安はいっぱい。自分で動かないと何もできません。最終的にやるのは自分しかいない。篠山での時間は篠山でしか使えません。料理の修行と同じです。よく外国に行って慣れない言葉と習慣に挟まれ苦しくてすぐ帰る人が居ますが、その土地でどれだけ一所懸命やるか、です。みんな思いや理念は持っている。いかにそれを整理するか。もと居た場所が居心地良いのはあたり前です。篠山は豊かだけど、やっぱり都会は便利です。不自由さをどうするか、それを逆手にとって「自分はここに何をしに来たか」を考えることで、自分にとって本当に必要なものが何か分かると思います。どんなにいい人生のレールが引かれても、ここで何をするのか、どれだけ真剣か、夢をつぶさずに現実も見ることが大切だと思います。フレンチをするなら、普通は大阪・神戸・東京でしょう。田舎スタイルをここでやっていく、というのがどういうことなのか、僕も考えています。この春に2人の新しいスタッフを雇います。彼らもそういうことを自覚して篠山で頑張ってほしいと思っています。「一所懸命、田舎暮らしをしましょう!」。
ひわの蔵
http://maruyama-v.jp/food/hiwa/
≪定休日≫水曜日、木曜日
≪ご予約≫079-552-5560
≪住所≫〒669-2361篠山市丸山42番地
空家改装したギャラリー

篠山市の城下町エリアの乾新町の交差点に、1軒の古民家を改修したギャラリーがあります。平成20年にこの古民家を自分の手で改装しギャラリーをオープンしたのは吉成佳泰さん。その後、カフェを併設、平成21年には友人と合同会社を立ち上げ、活躍しておられます。30歳で起業した吉成さんに篠山の魅力についてお伺いしました。
篠山との出会いについて教えて下さい。
平成20年に、大阪中崎町のイベントスペースでワークショップをしていました。そのとき、篠山で古民家再生の活動をしているNPO町なみ屋なみ研究所(*1)の理事長から声がかかり、「古民家を見てみようツアー」に参加しました。その時に篠山の町並みが面白く、可能性を感じました。今、お借りしている物件もそのとき見学したものです。篠山の第一印象は自然が多く古い町屋が残る風情ある町だな、と思いました。最初に案内してくださった方々の町への思いと熱心さに共感して、自分の感覚でこの場所は居心地が良いと感じました。
その時には、もう既に篠山で出店するお気持ちがあってツアーに参加されたのですか?
そうです。神戸か別のところで出店しようと、もともと考えていました。例えば「まち」「やま」「うみ」に1店舗ずつ。ずっとひとつの土地に貼りつく人生ではなく、関わった人たちを転々と訪れたい、そんな思いで色々な土地で出店したいと思っていました。神戸の塩屋でひとつ、山にある篠山でひとつ、というような...。物件を見て、難しそうだけれどもこの建物を生かせればおもしろいイベントスペースになる、と感じました。
物件が「難しい」、「おもしろい」というのは、具体的に?
お店の中に前の事業者さんの物品や看板がたくさん残っていました。これを撤去するのは大変だなと思いましたが、初めて古民家に接して、土間や木の質感がいいなと思いました。
お借りしている物件は、江戸時代後期の旅館跡です。昔の写真などを大家さんに見せてもらいますと、郵便局だったり,下宿宿だったり,沢山の人達と関わってきた建物なのだなと深く感じました。
歴史ある建物を自ら改修して店舗にしておられますね。改修するときに大切にしたこと、苦労したことなどエピソードがあれば教えてください。
建物に宿る独特の空気<精霊>みたいなものを一番に考慮します。できれば古材を使いたい。まず、できるだけ元の状態に戻したいと思いました。たくさん造作物がついていたので。自分ではあまり作り込まず、イベントスペースを活用する作家さんや関係者に委ねたいと思っていたのであまり触りませんでした。この物件について、江戸後期の古い建物であるとか、瓦や格子戸の話など聞きましたが、ずっと心に残ったのは篠山の「ひと」の接し方でした。空気感というか...住人の人たちの話のおもしろさに篠山のとりこになりました。篠山に来るきっかけは建物から入りましたが、その土地の「暮らし」、住んでいる「ひと」の頭の中、お気持ちに惹かれました。例えば地元の陶芸家の柴田雅章さん(*2)。柴田さんの「仕事をしている」ということと「暮らしている」ことがほぼ同じであることにとても共感しました。陶芸家というお仕事だからかもしれませんが、仕事も暮らしも丁寧にしたい、そのことでよい作品ができていく、というお考え。それは理想で難しいかもしれないけれど、僕も生活を大切にすることで良い仕事ができる、そんな風になりたいです。お店に来てくださった方にどんなふうに「篠山」を伝えたいか、どんな人と篠山で仕事をしていきたいか。「生活を丁寧に、仕事を丁寧に」。そのことを自分の感覚に取り入れて今後も活動してきたいです。
吉成さんが代表を務めておられる「プラグ合同会社」は、篠山でどのようなお店(お仕事)をしているのか、教えてください。
具体的には、篠山の観光事業に携わっております。また日用品・地場産品の卸・販売、空き古民家への定住者・事業者の誘致活動なども従事させていただいております。理念的なことで申しますと、「ひと」と「ひと」をつないでいく仕事です。例えば「いい野菜を扱ったら楽しいのに」そういう人がいたらマルシェを企画してみる、「何か作りたい」という作家さんがいたらその人の想いがつながりやすい人を探して紹介する。橋渡し役ですかね。
他にも「暮らし」をテーマにした観光ツーリズム事業の企画や、廃校活用を検討するエリアマネジメント事業の事務局、ものづくり市「ササヤマルシェ」の開催など多方面で活躍しておられますね(*3)。いま一番、時間をかけて取り組まれているお仕事は?
空き店舗対策事業の活動です。篠山でチャレンジしたい、開業したいと興味を持っている人たちのためにその環境を整えたい。事業者と物件をマッチングしたい。いま3店舗を交渉中で開業者を募っています。よそから来て、篠山に根付いていく人たちを町の人とつなぐ、その仕組みづくりをしているところです。人同士の問題なので、非常に丁寧に、長い時間を割いています。
吉成さんの夢を教えてください。
プラグ合同会社のメンバーがそれぞれ業種を越えて独立できることが僕の夢です。例えば、メンバーの1人、中原は頑固できめ細やかながら反面ざっくりした性格で、一番の遊び好きなんです。そんな彼を遊ばせてあげたい!彼がレコード店を開きたいというので、それを応援したいです。それからもう一人の仲間の高原が、将来は夫婦でお店を持ちたいと思っているので、それも叶えてあげたいです。
僕たちがやっている地域活性化や観光事業などは仕事の幅が広く、本当に汗をかいて何とかやっていける仕事です。まずは僕たちのような存在が何人も篠山で独立していけることが、将来の若い人材のチャンスにつながると信じています。自分たちを含めて若い人が篠山に根付き、またチャレンジしていける環境を作ることが僕の今一番の夢です。
これから「篠山暮らし」をしていこうという人にメッセージを!
篠山の魅力は、「ひと」です。農業・手仕事などに携わっている方が多く,その方達の暮らし方や生活に対する考え方に深く共感します。田舎で暮らすことは、自分の生活だけでは実現しません。周囲とのコミュニティーや慣習の上で成り立つ部分もあります。不思議に思うこと、おかしいと感じることが沢山あると思います。でも、まずは周りを受け入れて理解し、経験してみてください。その先に丹波篠山という田舎だから感じられる、すこぶる気持ちのよい暮らしが皆さんの前に突如現れます。僕は今とても篠山という田舎が好きです。どう好きかと聞かれても、これは言葉では表現しにくい。敢えて言うなら「恵まれた自然環境、そこに拠点を置くおじいちゃんおばあちゃんや作り手さん、そして昔から続く伝統行事や習慣、子供たちのにぎやかな声」。こんなところからくる綿のようにやわらかな空気感に気持ちが満たされているところでしょうか。みなさんもぜひ篠山暮らしをチャレンジしてみてください。深く知れば知るほど篠山という町は皆さんを受け入れてくれます。
本当に魅力のある部分をご自身で見つけてもらい、誰にも真似のできないような素敵な暮らしを実現していただきたいなと思います。
(*1)NPO町なみ屋なみ研究所 /古民家再生プロジェクトブログ
(*2)陶芸家の柴田雅章さん 1948年東京生まれ。1971年中央大学卒、丹波・生田和孝氏に師事。1975年丹波篠山町(現:兵庫県篠山市)に築窯・独立。丹波焼の伝統とスリップウェアの技法を活かした独自の器づくりの取り組みは、多くの陶器愛好家から支持を集めている。(国画会会員、大阪日本民芸館理事、同展示主任)
武家屋敷をカフェ利用

静かな佇まいの武家屋敷。篠山城の南掘に、中国茶のお店があります。店主、柴田さんに篠山の魅力についてお話を伺いました。
お店を開く場所として篠山を選んだ理由を教えて下さい。
私は篠山生まれ、篠山育ちです。両親が40年前(昭和37年)に篠山に惚れこんで移り住んできました。生まれた時から親に篠山の良さを聞いて育ちました。ですから「何かするなら篠山が楽しくなるようなことをしたい」、「友達や知り合いが楽しんでくれるようなことを篠山で」と、ずっと思い続けていました。ここ篠山で生まれ育って、よくここのことを知っています。どこに行っても「篠山」を恥じたことがありません。むしろいつも誇りに思っています。篠山の話を色々な人にするけれど、みなさんの反応がよい。そんなとき、「一度遊びに来てね!」そうお誘いして、実際に友人が来た時、私なら自宅に招いてご飯、そして篠山の自然をご案内することができます。でもよそから来た一般の人は行くところがない。篠山に知り合いのいない人にも同じようにお食事を楽しんでもらえたら、そんな思いでお店を始めたいと思いました。
柴田さんはずっと篠山で暮らして来られたのですか?学生時代は?
私は同級生よりも早く、高校から親元を離れて神奈川県へ進学して寄宿舎に入りました。寄宿舎で「暮らし」の基礎を身につけたと思います。篠山の家では、朝起きてみんなでご飯を食べ、父は陶芸家でしたので粘土は父の仕事、隣の工房で焼き物を焼く。私達は草引きをし、落ち葉を掃いたり、掃除をしたり...柴田家はみんなで仕事をしました。そんな家で育ったので、ある程度の生活力はあったと思います。でもそれは親が用意してくれた生活でした。寄宿舎では親がいない。同世代ばかりの生活の場ですので甘えがでる。これまで篠山で両親と一緒に生活して来て、私の中で芽生えたことを、実体験として身につけたと思います。当番制で朝5時に起き、毎日15人分のお弁当を作ります。みんなは6時に起床、夕方5時には帰り夕ご飯も順番で作ります。「しんどい」と言えばなんとかなるのが実家。高校に行って、それができないところで生活を実践できました。頭で学ぶのではなく、「型」を身につけました。自分は掃除ができていると思ってもできていない、それを教えてもらい吸収していく。食事の用意も50人分、100人分でも作れるようになる。卒業するころには1人前になれました。いま日本は核家族で「暮らし」が消えていっていると思います。お父さんは休みの日も仕事、家ではお母さんと子どもの濃密な関係しかない。そんな中で寄宿舎生活ができたことは私にとって貴重なことでした。
幼い時から「暮らし」を大切にしてこられた柴田さんが中国茶の店・岩茶房をしようと思ったきっかけは?
高校時代の寄宿舎生活で料理の実践力もありましたし、美味しくて安全な食事を意識して摂っていたこともあり、マクロビオティックのレストランをしようと思いました。私は特にイタリアンやフレンチの勉強はしていません。でも生活の中で食べ物を大切に思ってきて、篠山に生まれて食材の魅力も分かっているので、篠山でならできるのではないか。気持ちよい時間といい「もの」を提供しながら、おもてなしをする。篠山だからできる、そして生まれ育った私がするべきことだな、と思いました。大学に入るまでは、英語が好きだったのでそれを生かし、空を飛ぶ仕事に就こうと思っていました。...でもそれは私だけの小さな思い。まだそのころは自分が何をするべきか分かっていませんでした。人にはそれぞれ役目があるのだと思います。篠山で育ってきたこと、高校の寄宿舎で身につけたこと、そしてやりたいこと。すべてがつながって大きな流れで導かれているような感じがしています。岩茶房をしようと思ったのも、自分で岩茶を選んだわけではありません。関東で出会いがあり...。私はここ篠山で、体にいい食べ物そして本格的な岩茶を「暮らし」の中で楽しんでもらう役目を「させていただいている」、そのようになっていたという感じです。岩茶は作法など難しそうと思われがちですが、ここでは生活の中で使える実用性のある器で、美味しく飲んでもらえるように、そして本格的な質の高いものを最大限提供できるように心がけています。
柴田さんのお店は江戸時代の武家屋敷を改修した建物ですね。長い間、空き家になっていて、地元NPO町なみ屋なみ研究所が市民ボランティアと一緒に再生したと聞きました。この建物をお店にするとき、大切にしたこと・エピソードがあれば教えて下さい。
平成21年、今のこの物件を初めてみました。一緒に見た人が「この建物、難しいよ...。」と言った時、「本当にそうかな?」と思ったのを覚えています。確かに痛みはひどいので改修は難しいと思いました。けれど人が集うコミュニティースペースなら実現可能なんじゃないかと思いました。このままではもったいないなあ、と。こんないい場所で素晴らしい建物が閉じられている、人が出入りして家が喜ぶ状態にしたい、そう思いました。この建物を開けることが篠山のためにいいことだ、と。「まず玄関を開けよう!」そう思いました。NPOが改修をした後は床もなく、壁も部分的に塗っているだけで建具も揃っていませんでしたがそれが逆に良かったと思います。無駄に改修しすぎていなかったので、むしろ建物の良さが引き立っていて、建付けのものにジャマされることなく色々選びやすかった。建築の完成度よりも生活に根差して必要なものが必要なところに収まればそれが一番いいと思います。デザインするのはまた違って、なるべくシンプルに、それだけを心がけました。新たにつくらなければならなかった扉などは、宮大工さんの伝統的な技術のお陰でシンプルな仕上がりになりました。
オープン前は家族総出で作業されたと聞きましたが、みなさんで準備されたのですか。
はい!壁は自分たちで塗りました。昔の壁は下地もボロボロになっていました。全部外すと費用がかかるので、左官屋さんに相談しました。「私がやるので教えてください」。色のヒントをもらい、本当なら仕上げ塗りが要るところを最低限で整えるだけにしました。
それが逆に風合いがあり良かったです。自分のできる範囲で完成形を求めずにやりました。みなさんに「自然な仕上がり(笑)だ」と言われます。手間ひまはずいぶんかけているんですよ!でもさりげなくてみんな気づきません。少し悔しい(笑)
篠山では、お店同士の関係性はどのような感じですか。
正式にオープンする1か月前に「ササヤマルシェ」というイベントがありました。メイン会場からだいぶん離れていたのですが一出店者として参加しました。お店の改装に追われて忙しくほとんど広報できない中、黙ってオープンしたようなものでした。でも初日からお客様がお越しくださったんです。いまの篠山にはお店同士がお客様を紹介し合って篠山を楽しんでもらおうという雰囲気、仲間がいますね。「自分だけでどうにかしないと...」とか、「冬場のお客様、来てくださるかしら?」など不安を感じること、孤独感って、本当につらいと思いますが、一人じゃない、みんなでつくっている感じがあります。例えば、来店いただいたお客様にお互い他のお店を勧める、そうすることで自分の店だけでみると1人のお客様ですが、もう2つお店を紹介できたら篠山全体で3か所のお客様になる。篠山にお見えになる方は電車や車を使って、お金も時間もかけて来て下さっているわけですから、せっかく来ていただいたからには楽しんで帰っていただきたい。そういう同じ思いの仲間がいます。
最後にこれから「篠山暮らし」を始めたい人にメッセージを。
いま「やりたい」と思っていることが何を優先してでもやりたいことなのか、「本当の思い」かどうかを自分で認識することで物事は動いていくと思います。「やりたい」「したい」というだけでは何も動かないと思います。「今はこれがあるからできない」ということなら、その原因のほうが自分にとってのやりたいこと、「本当の思い」なんだと思います。無理して動かなくてもいいと思うんです。困難なことにぶつかったとき立ち返る場所があるか。自分の「思い」の通りに動いていたら、他の人から見たら大変そうなことも、意外と困難なことだとは気づかずに乗り越えて行ってるような気がします。篠山は、確かな「思い」には応えてくれる土壌があるので安心して来てください。
蕎麦と旬料理のお店を営む|ろあん松田

篠山市、集落丸山の谷あいに1軒のお店があります。ご一家で蕎麦屋「ろあん松田」を営んでおられる松田さん。村の方のお話によると、350年ぶりの新しい住民だったとか。松田さんご家族に集落の生活についてお話をお伺いしました。
ここ集落丸山にお店を出そう、移り住もうと思われたきっかけを教えてください。
(妻:敬子さん)
知り合いの方に「あそこに空地があるよ」と教えてもらったのがきっかけで今の家のことを知りました。一目みて私はここがいいなあ!と思いました。立地条件を考えるとお商売になりそうにはなかったですけど、植林でなく雑木林に囲まれているこの場所が好きになりました。でも家主が分からなかったので、集落の家を一軒づつ、玄関のピンポンを押して訪ねて歩きました。ここで蕎麦屋をやりたいと言うと「こんな人の来ないところで続けられない、やめときなさい」と周囲の人にも集落の方にも言われました。それでも私たちがお願いにいくので、地主さんが「そんなに熱心なら村の人が全員OKしてくれたら家を貸しましょう。」と言ってくださいました。村の常会に出席して、みなさんとお話する機会を設けてくださって今のところにお店をオープンできました。地主さんが事前に村の人に話をしてくださって会合を準備してくださったと思うととても有難いことです。
(夫:文武さん)
篠山は京阪神から近い割に自然環境が良い、けど人通りが少ない。ここでお店を出すからには、最高のものを使って来てもらった人に喜んでもらい、また足を運んでもらいたいという思いでやってきました。丸山は季節感を感じられる良いところ。こういう立地ですから他店との比較や競争心なく、純粋に自分の仕事に打ち込めます。そして来てくださった人に心から「ありがとう」と言えますね。
(敬子さん)
うちは完全予約制の蕎麦屋なので、集落に知らない車が入るとそれはほとんどうちのお客様です。だから村の人にとっては「あ、今日も「ろあん」さんとこに車が入ってきたな」と分かるんです。そういう時に、集落の人がまるで自分の家のお客様のように「いらっしゃいませ」と曲がり角のカーブの所に座って出迎えてくださることがありました。ある冬の日、丸山地区から急に雪が深くなって、お客様の車が立ち往生しているときがあったようなんです。ノーマルタイヤだから、運転が難しく、お店までたどり着けそうにない。そのときに集落のおばあさんがお客様に「あんたら、ここに車をここに置いて歩いていったらいい。長靴を貸してあげよう、歩いてお行き。」と声をかけられたそうです。お客様がご来店になった姿を見て、「まあ!お車は?長靴は?」と聞いたところ、そんなことがあったと知りました。別の日もお客様に「集落の入り口にいらっしゃるおばあちゃんはご親戚の方ですか?」と聞かれて「いえいえ、村の方です」と答えたら驚いておられました。そのおばあちゃんがいつも「ろあん松田はこの奥です、どうぞ、ようこそここまで来てくれました。」と、ご挨拶してくださっていたようなんです。集落の入り口が「ろあん松田」の玄関のよう。私達のお客様を集落のお客様のように迎えてくださっているのを聞いて本当に嬉しかったです。
村のおつきあいはいかがですか?
(敬子さん)
ここ丸山の人のお付き合いは、田舎のイメージと違って都会的だと感じます。村の用事には色々なことがあるんですが、例えば農業のことだったら「松田さんは農業じゃなくてお商売をしてはるんやから、この村用には出て来なくてもいいですよ、村のすべてのことにお付き合いしなくてよいですよ」、と言ってくださいます。来たばかりの頃、お葬式がありました。私はどうしよう、と不安になりました。ここのお作法や風習が分からないから「とにかく来ました、教えてください」と言いました。そしたら「松田さんには松田さんのやり方があるはず、この村ではこうするもんやけど、松田さんができること・心からしてあげたい思うことをしてあげてください」と言われ、とても驚きました。
決まりや伝統を守ることよりも、「心」に従ってできることを自分で考えて行動するというのは逆に難しい、深いことですね!
(文武さん)
そうやね、集落ではある日、突然「ボンっ!」と玄関に白菜が置いてある。私らからしたら「これ置いてくれたの、誰やろ?早く何かお礼をせねば」と考えてしまう。でも村の人に「この白菜、誰が置いたか知りませんか?お礼がしたいんです。」そう聞いても誰なのか分からない。そしたらある方が教えてくれました。「こんなことでお礼言わんでええんや。こうでもせんかったら畑に放って捨てる白菜や。お返しなんかせんでええ。『ありがとう』そう思ったらそれでええ」。都会では、何かもらったらモノで返すのが当たり前になってます。でもここは違う。心から「ありがとう」そう気持ちよく思うことがお付き合いなんやね。
(敬子さん)
田舎暮らしは都会のお付き合いをそのまま持ってきたらダメだと思います、「自分が、自分が」はダメ。集落の人は言葉は少ないかもしれませんが思いやりがあります。だからこそお互いにコミュニケーションを取っていくことが大切だと思います。例えば、以前お世話になった方に「おばあちゃん」、と呼びかけたら「私には梅子という名前があります!」と言われました。田舎の人、田舎の誰かじゃなく、人と人とのお付き合いが大切だと思いました。
鮎美さんと慎之介さんにお伺いします。ここに引っ越してきたとき、当時子どもとして移住についてどんなご意見でしたか?
(慎之介さん)
初めてここに連れて来られた時、「えっ?!何もないやん、草ぼうぼうやん!」って思いました。父が向こうを指さして「あの辺までうちやから」と言われてもピンと来ないほど。
(鮎美さん)
私は「こんな谷の奥で、学校はどうなるん?」と思いました。行きは良いけど帰りは恐い!そういう私に母が「大丈夫、前の家より近くなったやんか」って。確かに距離は近くなったけど、こんな山の中は...。でも田舎暮らしに抵抗はなかったです。前の家も田舎だったから。
今はご家族でお店をされていらっしゃいますね。お子さんが2人ともご両親と同じ道を選ぶ、そして一緒に働くというのはとても珍しいと思うのですが。何かきっかけがあったのですが?
(文武さん)
こんなことになるなんて思ってもみませんでしたよ!慎之介なんか高野山で坊さんしてたんですから。この道に入るとき慎之介から「お願いします」と挨拶されて「しゃあないな、やるか」と答えました。鮎美の場合は...、もっとすごかった。当時パン屋になりたいと言って1か月フランスに行って、やっと帰国したと思ったら迎えにいった空港のロビーで開口一番「私、やっぱパンやめるわ!」と言われて、なんや「ただいま」より先に言われても親としては何しにフランスに行っとったんや?という感じでしょう?あのときはさすがの私もびっくりしました。
(鮎美さん)
そうやったなあ。パン屋になるならとことんやろうと、フランスでパンばっかり1日3食。当時関西のパンは全部食べつくしたから、パンの本場に行って食べてみたいと思ったんです。フランスのパンは素晴らしかった!その土地で取れた小麦粉、空気、水、湿度...。全てがパンのためにあるような。パンが生まれるだけのことはある、本場はやっぱり違うなと思いました。それと同時に、じゃあ日本で本当にパンをすることが環境や気候にあっているのか疑問を感じました。それくらいフランスが素晴らしかったです。
そんな鮎美さんが蕎麦の道に入るきっかけは?
(鮎美さん)
フランスから帰って、父のお弟子さんが一所懸命に蕎麦を打っているところを見て。その人は私と年も近くて蕎麦作りに熱い人、才能のある人でした。そんな姿を見て「私もやってみよう」、と。日本で3年蕎麦屋をしました。
(文武さん)
そのころは関西ではほとんど蕎麦なんかなくて、みんなうどんでした。せいぜい「うどん・蕎麦の店」があるくらい。蕎麦屋専門店がなかったです。鮎美が女性で蕎麦屋を始めたから、より珍しかったんでしょう。色々な人がこの子の大阪の店に来てくれて蕎麦を食べてくれました。
(鮎美さん)
そのうちに「ぜひフランスで蕎麦を打ってみたい!」と思うようになりました。当時、現地のフランス料理レストランで蕎麦が出されて、いっしょに柚子やワサビ、醤油も注目されていたんです。フランスに行きたい、呼んでほしい、一度食べてほしい、とフランスの2つ星レストランのオーナー、パトリック・ゴチエさんに大阪まで蕎麦を食べに来てもらいました。そしたら「いいよ、おいで」と言われて現地フランスへ行き、住み込みで働きました。でも...いつまで経っても蕎麦がレストランのメニューに載ることがなかったんです。どうしてだろう?と。聞いてみるとショックなことを言われました。「大阪で食べた君の蕎麦と今のものは違う。食べる時に泡が立つ。それが気持ち悪い。このままではメニューにできない」。日本の蕎麦粉ではならないのに、フランス産のものだと泡がたってしまう。ゴチエさんは「日本で食べた蕎麦と違う」と言いました。実はソバは日本特有のものではなくて、もともとフランスにもソバはあるんです。でも食べ方が違う。ブルターニュ地方で蕎麦がきをペッちゃんこにして焼いたクレープみたいにして食べる文化がある。クレープになると美味しいのに、蕎麦になるとダメ。やっぱり日本のそば粉は日本の環境でこそ美味しい。それで日本に帰ってきて、今に至る、です。
フランスの風土にパンが合うように、篠山の風土で蕎麦をつくる。そんなお仕事を家族でしている松田さんですが、ここで開業することは街でするのは違うでしょうね?
(文武さん)
そうですね、例えば自分がこの土地を買うたからここは自分のモンや、ではダメですね。それからお金儲けするなら断然都会でやった方がいい。ここでは違う裕福さを求めている人でないと生活するのは難しいかもしれないです。「今日はお客さんがなかったなあ、でも山が一日見れてよかったなあ」。そんな心でおります。
(敬子さん)
それに、ここにいらっしゃるお客様も違いますね。
(文武さん)
そう!例えば大阪だったら、店の扉をガラガラっと開けてのれんをくぐりながら「ビールちょうだい!」と言われるでしょう。都会のお客様はとにかく「早く」。でもここはそんなテンポじゃない。席に座ってゆっくり景色を見たり、店の人と会話を楽しんで、それから注文...ゆっくり時間を楽しむところです。でも篠山は食べ物以外にいろいろなものを「味わいながら」お客様に時間を過ごしてもらえます。
松田さんのお店に来店して、篠山暮らしに憧れる人も多いと思います。これから移住したい、開業したいと思う方にメッセージをお願いします。
(敬子さん)
都会にいるときよりスローダウン、スローテンポ。ゆるい感じにすること。秒単位でなく自然と向き合っているのだから四季を楽しむ、そういうスイッチに切り替えることだと思います。
(鮎美さん)
せかせかしていても篠山の良さは分かりませんね。
(文武さん)
例えば、草引き。集落のお年寄りがゆっくりゆっくり作業している姿は止まっているように見える、スローモーションです。でも1日8時間コツコツやって僕らの何倍も仕事をされます。言うなら僕らはパワー・瞬発力があるけど持久力がない。1時間でやって疲れがどっと出る、みたいな。集落の方は少しづつ時間をかけて何倍も作業しながら、かつ翌日疲れなしですよ。すごい。
(敬子さん)
同じ篠山でも町に住んだらまた違うかも知れません。ここにいると人間が自然の中の一部だと感じます。畑を鹿にやられたと言うより、私たちが鹿の中に入ってきているようなもんですから。
(慎之介さん)
僕が思う篠山の好きなところは、お客様がお帰りになったあと。忙しいのが終わって雑木林や田んぼを見てぼうーっとするのが好きです。でもあまりゆっくりしていると姉に怒られますが(笑)、13年間いて今もそう思います。夜も車から帰って来て、いつも星を見ています。集落には灯りがほとんどないし、空中にゴミがないきれいいな空気なのでとてもきれいです。それで深呼吸するのが何とも言えない、好きですね。
(文武さん)
篠山には、都会にはない発見があります。1回住んでみたら生き方が変わるかも。都会ではお金をかせぐ若夫婦が一番エライ人。年寄りの言うことは「知らん!」という感じでしょ。田舎では村の長老が一番。みなさんが上に人を大切にしています。何かものごとを決める時に若い人に言った方が早いと思うことがあるかもしれませんが、若い人自身が「それは上の人に聞いてください」答える。上の方を大切にするところです。篠山に興味があったら、まず篠山に来てみてください。
ろあん松田
http://maruyama-v.jp/food/roan/
≪定休日≫火曜日
≪ご予約≫079-552-7755
≪住所≫〒669-2361篠山市丸山154番地
篠山暮らし案内
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※この案内所は篠山市が開設しているもので、一般社団法人ノオトが市から委託されて運営しています。
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